対話の専門性と資格の専門性は別物じゃ!ナラティブコロキウム6
ナラティブ・コロキウム
みなさん、ナラティブコロキウムって知ってますか?
遠見書房さんの主催する、ナラティブやオープンダイアログ−といった、オープンな対話を中心とした技法やある意味哲学についてのワークショップやシンポジウムの会なんですが。
今年もいろいろ発見というか示唆に富んだお話が聞けました。
専門家であること、支援することの傲慢さについて
特に印象に残ったものの一つは
「専門家ぶって偉そうに話し聞いてるから、いつまでたっても下手くそなんだよ、ボケ!」
って話ともう一つは
「そもそも援助、とか支援、とかしようとする時点で傲慢なことなんだから、その傲慢さを自覚しとけ!忘れんな!・・・俺もやけどな・・・」
みたいな話でした。
いや、誰もこんなきつい言い方してなかったんですが、そういうことかな?って僕が思ってしまったのでした。
臨床の上手い下手は何で決まる?
ここ最近、ロールプレイやらケース検討やら、ある程度近くでその人の臨床に触れることが多く、臨床の上手い下手ってなんなんだろう?と考えさせられることが多かったんですが。
見ていて安心できる人、ちゃんと相手とつながっているなと思える人と。
この調子で話し聞いてて大丈夫?と思ったり、報告を聞いていてなんかイライラしてくる人との差はなんだろう?と。
資格の持つ専門性と、対話の専門性は別ものと考える
精神科医の植村太郎先生が「資格の持つ専門性と、対話の専門性は違う」という話をしてくれて自分としてはピンと来るものがあったんですよね。
一昨年にナラティブコロキウムに参加した時も「専門家の衣を脱げ」なんて言われて「あ、そっか!」とか思っていたのですが。
やっぱりカウンセリングを見ていたり報告を聞いたりしていて嫌だな、って思う人って「私こんなことしてあげてるんですよ」みたいのが出ちゃってるんですよね。
特別なことをしている感みたいな。
それは対話の地平線に立ってないんです。
専門性を持って支援しようと思った時点で、専門技術の提供者みたいなことになっちゃってるんです。
もちろん世間話とは違う特別なことをしているのだけれど、でも対話としては一対一の、お互いが弱くて強い、当たり前の人間同士のものとして臨まなければ、いくら専門知識や技術を持っていたって、出会いとしてはピタッといかない、なんかズレズレで終わってしまうんじゃないかなと思います。
資格をとると、知らぬ間に権威的の衣もついてくるかも?
考えてみたら、資格を取ろうとした時点で「専門性を身に着けて自分に自信を持ちたい」とか「誰かのために力を発揮したい」とか、とてもポジティブで当たり前、アイデンティティー構築の過程で大切なものなんだけど、実は少しだけ権威を志向している行為だってことに、意識的でいたほうがいいかと思いました。
いや、変なこと言っているって思う人も、いるかとは思いますけど、専門家として何かを身に着けたり、達成したりっていうことは、目には見えない専門家としての衣をまとってしまうことなのかもしれません。
だから、職種や資格の専門性を身につけるために頑張ったら頑張った分だけ、今度は対話の専門性として、常に衣を脱ぎ続けて行かなきゃならないと。
そんなことを感じた二日間でした。
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