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なんであのときカウンセラーになろうと決めたのか?

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臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
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なんでカウンセラーになったんですか?

「なんでカウンセラーになったんですか?」と尋ねられることがよくあります。

大学でカウンセリングの専攻に入ったから、なのですが、実はカウンセリングという言葉すら知らずに入学していたのでした。

そもそも漫画マスターキートンの影響で、考古学とか面白いのではないか?と思っていました。

もともと滑り止めのつもりの大学を願書の申し込み期限が過ぎていて受験できなかったり。

代わりに受けようとした学部の受験票への書き間違いがあったり。

残った選択肢の中で、たまたま心理学はなんだか得しそうな気がして受けてみたのですが、ほかの大学は全て落ちていたのでそこに入るしかありませんでした。

入ってみると想像とは違って。

「え?なに?動物実験とかやるんじゃないの?え?カウンセリング??相談??どゆこと??」

みたいな状況でした。

カウンセリングに関心が持てない

当然カウンセラーを目指して入ってきた同級生とは何か調子が合わず、授業の内容にも興味が持てず、このまま四年間過ごしたら時間の無駄になると焦っていました。

何か学生生活が無駄にならないことをしようと合気道部に入り、そのまま部活動中心の学生生活を送っていました。

とにかく練習やら規律やらが厳しくて、もともと大した運動経験がなく、高校時代は美術部だった僕は、練習後にボロボロになりながら、這うように寮の階段を上がる日々だったのを思い出します。

練習以外の時間は、授業であっても夕方に待ち受ける地獄のような練習のための休養に充てられることになりました。

そんな感じで授業中もよく眠っていたのですが、大学三年生の秋ごろ、カウンセリング演習の授業でいつものようにうつらうつらと眠っていると、ある先生が「心理の授業は眠くなりますので眠っていてもいいですよ」とおっしゃっている声が耳に飛び込んできました。

「今なんて言ったの?」と我が耳を疑いました。

眠り男目覚める

思えば中高生時代の僕は、思春期心性をこじらせていた上、不良になることも不登校になるという発想もなく、「授業中でもなんでも眠くなったら眠る」「面倒くさいのでノートは取らない」「楽しいと思えること以外は最小限の努力で済ます」という、なんだか格好の悪い自己表現をしている若者でした。

体罰を恐れない当時の教師たちからは、眠っていると当然のように出席簿の角で頭を殴られるような仕打ちを受けていましたが、そうなると余計に心はこじれてしまうもので、「嫌いな科目は予習しない」「小テストの勉強はしない」といった自分が不利になるようなちっぽけな反抗を繰り返していました。

教師からは「なぜか学校には来ているけど何事もやる気がなく、いくら言っても言うことを聞かない厄介者」という目で見られていたことでしょう。

そんなふうに教師を敵視していた僕が大学に入った理由は「何をやっていいのかわからない」「働くよりは楽そう」というものだったのでした。

そして、そのやる気のない態度は大学に入っても続いており、教師のみならず同期生からも「どうせ合気道やりに来てるんでしょ?」と言われている状態でした。

そんな僕にとっては「心理の授業は眠くなるから眠っていてよい」というのは、百年の眠りも覚めるような、大人という者に対する疑いや恐れが一瞬で溶けるような、驚きの言葉だったんです。

そしてこれが一瀬正央先生との真正面からの心の出会いでした。

ひねくれものへの受容と共感

寝てはいたのですがカッと何かが目覚め「これはただものじゃないぞ・・・いったい何者??」と思ったら、その先生はカウンセラーで、では自分もなってみるか、とカウンセラーになることを決めたのでした。

その時は知的には理解できていなかったのですが、自分の「長年かけてひねくれてしまった考えや行動」が、ぱっと初めて受け止められたような、そんな体験だったのでしょう。

「受容する」とはどういうことなのか?「共感する」とはどういうことなのかを、体験的に身をもって教えてくれたということなのでしょう。

これはやっぱり僕の原点にある、「カウンセリングとは何か?」という体験だったのではないかと思います。

からの主体的な取り組み

さてカウンセラーになると決めたのはよかったのですが、問題は部活動との兼ね合いでした。

当時の僕にとって、カウンセラーになるということは、「臨床心理士の資格を取得する」と同義語だったのですが、資格を取るためには大学院を受験して試験に合格する必要がありました。

ところが僕の所属していた合気道部の最後の試合は4年生の11月でした。

勉強なんてまるでやっていなかった僕が、今から勉強したとしても大学院に合格するのはとても無理な状態で、しかも合気道だってとてもレギュラーには程遠い状態で、11月までは限界まで追い込んでいかなければならない。

いろいろ考えた結果

「今は合気道を優先して、留年して五年生の時に今まで取ったけど寝てた授業も全部取り直して大学院の受験勉強をしよう」

「一年ロスした分は一年長生きすることで良しとしよう」

ということに決めました。

大学三年四年は合気道中心、その後は受験勉強というように自分の中で決めることが出来ました。

今思えばなのですが、それから僕は部活でやっていた合気道の自主練をこっそりとはじめ、それまではやらされていた毎日の練習に対しても、自分の工夫や自主練の成果を試す場として、積極的に向き合っていくようになりました。

今まで「どうせやってもしょうがない」と、あきらめることで「努力しても結果が出ない」可能性から逃げていたのをやめ、初めて主体的に物事に取り組めた瞬間でした。

ポジティブな循環の始まり

そうすると今まで勝てなかった相手に勝てたり、投げれなかった相手を投げれたり、歯が立たなかった相手とも何とか戦えるようになったり、成果が出るとまたその「努力」や「工夫」をするのが面白くなるという循環が起こり、「努力って案外いいもんだったね」という物事に前向きに取り組む気持ちが育っていきました。

そうなってくると、試合で活躍したり、表彰されたりすることが増え、そこでまた周りの自分を見る目や関係の取り方が変わっていき、自分自身の自信がついてくるので、言動に落ち着きが出てくる、というように連鎖的に僕にとっての良いことが起こっていきました。

もちろんそこまでの間に、自分の中に「こんな自分がなんか嫌だ、変わりたい、でもどうすればいいのかわからない」という思いが燃料として十分たまっていたこと、チャレンジするのにちょうど良い環境が整っていたのですが、

見方を変えれば、一瀬先生の発した「受容の一言」で、僕の人生が雪だるま式に、明るい方向へ変わっていったんです。

でもそれはあくまできっかけに過ぎず、それまでの「こんな俺嫌だな」という一見悪いことのような自己嫌悪の積み重ねや、自分の意志だけではできなかった合気道部の身体的、精神的な修練、正も負も織り交ざったような体験の積み重ねや環境がベースにあったうえで、やっと踏み出すことが出来たことも忘れてはいけません。

状況に飽き飽きしなければ、そもそも「変わりたい」とも思えないし、選べる「環境」がなければ、チャレンジを選ぶこともできないわけですから。

 

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なんであのとき合気道をやっていたのか?

 

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