自然な会話と専門性のあいだで
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臨床の勉強をしていると、多くの人が一度はこんな問いにぶつかります。
「心理士の専門性って、いったい何なんだろう?」
「やり方のカウンセリング」になってしまう違和感
ある受講生が語ってくれたのは、こんな気づきでした。
心理士の専門性と聞くと、まず「話を聞くこと」が思い浮かぶ。
だから、自分はずっと「どう聞くか」「どう質問するか」といった“やり方”に一生懸命取り組んできた。
マイクロカウンセリングでも、他の技法でも、
- この形で質問する
- この場面ではこの単語を使う
といった「正しい手順」を身につけようとしてきた。
ところが、実際にやってみると、ある違和感にぶつかったのだそうです。
「やり方をやろうとすればするほど、
期待されたカウンセリングの形をなぞっているだけになってしまうんです」
技法どおりやっているのに、本当に聞きたかったことが出てこない。
クライアントの言葉も、自分の感覚も、どこか遠くなってしまう。
そのギャップに、だんだん気づくようになってきた、と話してくれました。
専門性とは、「自然な会話」と「専門的な視点」の折り合わせ
そこから、その受講生はこんなふうに考えるようになったそうです。
カウンセリングの場は、ある意味「特別な場所」ではある。
でも、その中で交わされているのは、やっぱり人と人とのコミュニケーションであり、自然な会話でもある。
だったら、
いわゆる「カウンセリングっぽい」会話と
ふだんの自然な会話
を切り離してしまうのではなく、両方をどう折り合わせるかが大事なのではないか。
人と人とのシンプルなやり取りの中に、専門的な要素を少しずつ組み込んでいく。
「今のこの言葉には、こういう意味が隠れているかもしれない」とセンサーを働かせながら、自然な会話を続けていく。
そうやって、
「普通のコミュニケーション」と「専門的な知識・技法」を
うまく重ね合わせることが、心理士の専門性なのではないか
と考えるようになった、と。
専門性は「解像度」と「人間観」の両輪で育つ
ここで大事になるのが、二つの“解像度”です。
1つ目は、アセスメントの解像度です。
たとえば誰かが「もっと理解してあげないと」と言ったとき、
「その“理解してあげる”って、具体的にはどういうこと?」
と細かく問い直してみる。
相談活動そのものを、どれだけ細かく見分けられるか、という目の細かさです。
2つ目は、セラピューティックな価値観の解像度です。
自分の中にある「人間ってこういうもの」「社会ってこういうもの」という前提が、どれだけケア志向になっているか。
この二つが上がってくると、
「できるだけ自分らしいまま、普通の自分でいる」
ことが、少しずつ可能になってきます。
「素でいる」ためには条件がある
よく「素でいられるカウンセラーでありたい」といった表現が使われますが、そこには前提条件があります。
見立てやアセスメントの力が、ある程度育っていること
自分の人間観が、ある程度セラピューティックな方向に整っていること
この二つが整って初めて、「素の自分でいる」ことが支援に資するようになります。
アセスメントが弱いまま、そして人間観があまりセラピューティックでないまま、
「素でやる」とどうなるか。
残念ながら、それはクライアントにとっても自分にとっても、かなり厳しい状況になってしまいます。
だからこそ、
技法だけでなく、
アセスメントの目とセラピューティックな人間観を同時に育てていく
ことが、とても大切なのだと思います。
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