【本を読む】ミルトン・エリクソン入門 第一章2-4 治療者の姿勢:治療の結果に対して責任を負うこと
ミルトン・エリクソン入門を読む
WHオハンロン著「ミルトン・エリクソン入門」(金剛出版)という本があります。
この本は、ブリーフセラピーの源流になったと言われる天才的な精神科医ミルトン・H・エリクソンのアプローチについて、著者の目線からまとめられており、僕自身の臨床の中で一番大きな影響を受けている本の一つです。
自分の臨床を見直すという意味でも、ミルトン・エリクソンについて多くの方に知っていただくという意味でも、この本に書かれていることを紹介しつつ、自分なりにコメントを書いて行こうかと思います。
関心の在る方はお付き合いください。
前回はこちら。
https://yurayura.org/2021/01/20/book-erikson-1-2-3/
エリクソン臨床の特徴:治療者の姿勢その4 治療の結果に対して責任を負うこと
WHオハンロン著「ミルトン・エリクソン入門」(金剛出版)ではエリクソンの強調する治療者としての姿勢として、柔軟性、従来の考え方への挑戦、治療の結果に対して責任を負うこと、を挙げています。
今回はこのうちの、治療の結果に対して責任を負うこと(The Burden of Responsibility for Results in Therapy)について解説いたします。
治療の結果に対して責任を負うこと(The Burden of Responsibility for Results in Therapy)
治療者の責任
治療者の責任とは、変化への環境なり雰囲気を作り出すことである。治療者は、その言葉や行為を通じて、成功への期待に満ちた雰囲気を創り出し、患者の反論やスタイル、あるいは治療に持ち込まれる”抵抗”を利用したりそれを取り込むことによって、その責任を果たすのである。
出典:ミルトン・エリクソン入門 第一章P29-30
エリクソンは治療者はその人が変わりたいのなら、変われるに足る環境(物理的にも心理的にも)を整えるだけでよいと、そこにその人は自発的に反応して変わることが出来ると考えていたようです。
その人が変われるようになるためには、その人にぴったりな変われる環境とタイミングがあるはずで、たとえ反論や抵抗であっても、その人の中にあるものなんだから、まさにその人独自の環境をつるためには、その人の中にあるものを使ったほうが良いですよね。
クライエントの責任
クライエントの責任とは、何かをすることであり、それは体験的、行動的、あるいはその両方の意味でである。
出典:ミルトン・エリクソン入門 第一章P30
体験とは内的なもので、行動とは外的なものといって良いかもしれませんね。
どちらにせよ、エリクソンはクライエントが活動することを大事にしていたと。
というか体験せざるを得ない、行動せざるをえないようにコミュニケーションの中でその環境を仕立て上げられてしまっているのではないかな?と事例を読んでいて感じることがよくあります。
ただその場にいて、何かを感じて座っていることも「活動」であるというのは本当にそうだと思います。
それを近くにいる人が活動と認識できるかどうか、誰かが認識していなければ、それはその人の中で活動であっても、無かったことになってしまうと思うんですよね。
何もしないでいるように見える
少し話がそれるようですが、うちの子は「何もしないでいる」という話を丁寧に聞いていくと、外から見てわからなくても、そして社会的に一見望ましく見えないことでも、想像以上にいろいろやっている、生きてる、と思うことがよくあります。
そういう話じゃない!って言われるかもしれませんが、もし子どもが一人で自室でゲームをしていたり、スマホで動画を見ていたとして、それを唯一の身近な人間が「何もしていない」と本気で断じていたならば、(それは家族の悲しみの叫びでもあるのですが)それはなんとももったいないことだなと思うのです
山元加津子先生(かっこちゃん)の話
金沢で特別支援学校の教諭をされていた、山元加津子先生という方のお話を思い出しました。
大ちゃんという子がいて、いつもなにか記号のようなものをノートに書いていて、それをかっこちゃん(山元加津子先生のことです)は「執筆活動」として、尊重しつつも、「ほらほら大ちゃん、執筆活動が終わったらご飯を食べましょうね」という具合で(きっと「意味はわからないけど本人にとってなにか大切なことだろうからそこは大事にしておこう」という感じだったと思うんですよね)いたんですが、ある日、古いワープロ(タイプライター?)をみつけてたかっこちゃんは、大ちゃんに持っていったら大いに気に入って、当時大ちゃんが夢中で見ていたドラゴンボールZのその後の話を猛烈な勢いで書き始めて、とても驚いたと。
実は執筆活動でずっと書いていたのはドラゴンボールZの続きの話だったんですよね。
かっこちゃんは本当にショックを受けたのですが、自分の気持ちが言葉を介して伝わると気づいた彼は、文章や詩で自分を表現していくようになっていく、という話なのですが。
ちょうど以下のリンクにこの話がありました。
一見わからなくても、何もしていないようでも、ただ外に伝える手段がないだけで、その人の中で起こっていること、内的活動があるはず、と誰かが気づいたり信じたり、手段を見つけることで、その見えなかった活動が無かったことにならないんじゃないかなと思います。
(かっこちゃんは植物状態(閉じ込め状態?)になっている方の回復や意思疎通の方法についての啓蒙活動も行っています白雪姫プロジェクト)
カウンセリングの場面であれば、リソースとして活かせる、という話です。
まとめ
事例を読んでいるとエリクソンのやっていることは複雑に見えるのですが、基本的にはその人の中にある、そしてやり取りの中で出されているものすべてを丁寧に精査しながら、役立つものはどんどん使っていくという方針が明確ですよね。
そして役に立たないことはきっぱりとやらないと、その役に立たないものの中に、従来の心理療法では必須とされていたものが沢山入っていたりする(それこそ役に立たないかどうかはクライエントによりけりでもある)ことがあるので、心理療法を学んでいる人はよけいにこんがらがるのかもしれません。
どこまでいっても、クライエントの全てを肯定的(役立つものだらけ)な視点で詳細に観察していく、という立ち方が肝心要かなと思います。
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