発達障害の子どもは「なんでこんな行動をするの?」の理解と対応
行動の背景を理解するために大切な視点
先日、安達康代先生をお招きして、発達障害に関するミニ講義をしていただきました。
テーマは、アナウンス通り、
「子供はなんでこんな行動するのだろう?」
というものです。
発達障害についての知識そのものは、今では多くの人がある程度知っています。
ASD、ADHD、LDといった言葉も、以前に比べればずいぶん身近になりました。
ただ、知識として知っていることと、実際の子どもの行動を前にして理解できることのあいだには、やはり大きな差があります。
たとえば、
- どうして順番が待てないのか
- どうして急に激しく怒るのか
- どうして視線が合いにくいのか
- どうして同じことを繰り返すのか
- どうして「わざと困らせている」ように見えるのか
こうしたことは、言葉だけで説明されても、なかなか腑に落ちないことがあります。
今回の講義では、そうした「行動の背景」にかなり丁寧に光を当てていただきました。

ASD、ADHD、LDという枠組み
講義ではまず、発達障害についてごく基本的な整理から話が始まりました。
一般に耳にすることが多いのは、ASD、ADHD、LDあたりです。
ただ、現場ではLDだけ単独で出会うことはそれほど多くなく、実際にはASDやADHDを中心に考えることが多いとのことでした。
ASDは自閉スペクトラム症。
スペクトラムというのは連続体という意味で、はっきり線を引いて「ここからが障害」と切れるものではなく、濃淡や幅の中で理解するものです。
特徴としては、
- 社会的コミュニケーションの困難
- 強いこだわり
- 感覚過敏や感覚鈍麻
などが挙げられます。
一方、ADHDは不注意、多動、衝動性が中心になります。
衝動性や多動が目立たず、ぼーっとしているタイプはADDと呼ばれることもあります。
LDは、読む・書く・計算するといった限られた領域に著しい困難がある状態ですが、実際にはASDの認知特性や不器用さの影響で、LDのような困りごとを見せる子も少なくないとのことでした。
ここで大事なのは、診断名を覚えることよりも、その子が何に困っているのかを具体的に見ていくことなのだと思います。
まず気にされやすいのは「言葉の遅れ」
乳幼児期、特に0〜3歳くらいの子どもについて、保護者が一番心配しやすいのは「言葉が出るかどうか」だそうです。
たしかに、言葉の遅れは目につきやすいし、不安にもなりやすいところです。
ただ、安達先生がおっしゃっていたのは、単に「しゃべるかどうか」だけではなく、
大人の話を理解できているかどうかの方が大事
ということでした。
たとえ言葉がまだ十分に出ていなくても、言われたことが入っていて、やりとりが成立していれば、そこまで心配しなくてもいい場合もある。
逆に、言葉は少し出ていても、共同注意が育ちにくく、相手と世界を共有しにくい場合には、別の観点から見ていく必要がある。
たとえば、
- 指さしてもそちらを見ない
- 「ほら見て」と言っても共有されない
- 自分の世界に入りやすい
といった反応は、一つのサインになることがあります。
幼児期に目立ちやすい困りごと
3歳から5歳頃になると、家庭の外で集団生活が始まります。
そこで一気に、困りごとが目立ってくることがあります。
たとえば、
- ルールが著しく守れない
- 順番が待てない
- 活動の切り替えが苦手
- こだわりが強い
- おもちゃが手から離れない
といったことです。
こういう場面を見ると、大人はつい「わがまま」「自分のペースばかり」「言うことを聞かない」と捉えがちです。
けれど、そこで単純に叱るだけでは、かえってその子の困り感を見失ってしまうことがある。
嫌だと駄々をこね続けることで、周囲が根負けして要求が通ってしまうと、それが学習になることもあります。
つまり、「こうやれば自分の希望が通る」という形で、行動が強化されてしまう。
行動には背景もあるし、そこに対する周囲の反応によって、さらに行動が固定化していくこともあるわけです。
小学生になると「学習」と「人間関係」でつまずきやすい
小学生になると、困りごとはまた別の形で目立ってきます。
- 忘れ物が多い
- 連絡帳が書けない
- 45分座っていられない
- 友達とのトラブルが増える
- 読み書き計算でつまずく
こうしたことが起こってきます。
ここで印象的だったのは、立ち歩き一つとっても、単純にADHDだけの問題とは限らないということでした。
体がむずむずして落ち着かないという多動の側面もあれば、実は背景にASD的な苦しさがあり、その結果として教室にいられない場合もある。
つまり、見えている行動だけで一足飛びに判断しないことがとても大事なのだと思います。
また、友達とのトラブルについても、単に乱暴とか自己中心的ということではなく、
- 相手の気持ちがつかみにくい
- 自分の思いが先に立ちやすい
- 自分の見立てを強く信じてしまう
といった特性の中で起こってくることがあります。
時には、周囲から「嘘をついている」と見られてしまうこともあります。
でも、本人としては本当にそう思っている、そうに違いないと感じていることもある。
そういうときに、正誤を詰めていくよりも、
「あなたはそう思ったんだね」
「そう見えたんだね」
と、一度その見え方を受けとめることの大切さが語られていました。
発達障害の理解で大切なこと
講義の中で、特に大切だと感じたポイントがいくつかありました。
一つは、
努力やしつけだけではどうにもならない部分がある
ということです。
今でも、発達障害のある子どもの行動が、
- 甘え
- わがまま
- しつけの問題
- 親の育て方の問題
として見られてしまうことがあります。
けれど、発達障害は生まれつきの特性であって、本人の怠けや親のしつけ不足として片づけられるものではありません。
もう一つは、個人差と変動が大きいということです。
同じASDでも、指示がよく通る子もいれば、学習面で非常に力を発揮する子もいます。
幼少期の関わりやトレーニング、環境への適応の仕方などによって、表れ方もかなり違ってきます。
そして三つ目が、早期支援と連携の重要性です。
園でうまくいっていた支援の方法が小学校に引き継がれないと、子どもはまた一から苦しむことになります。
「園ではよかったのに、小学校で急にうまくいかなくなった」ということの背景には、そうした支援の断絶があることも少なくありません。
一見「不思議な行動」に見えるものの背景
ここから講義では、いわゆる「なんでこんな行動するの?」と思われやすい行動がいくつも紹介されました。
たとえば、
- 視線が合いにくい
- 名前を呼んでも反応しにくい
- 独特の言い回しをする
- 好きなことだけ一方的に話す
- 一人遊びを好む
- 同じ遊びを繰り返す
- 回るものを見続ける
- 匂いを嗅ぐ
- 舐める
などです。
こうした行動は、たしかに周囲からすると「不思議」に見えます。
でも、その背景にはいくつかの理解の軸があります。
予測できない世界は不安だから、予測できるものに向かう
とてもわかりやすかったのは、
予測ができないことそのものが不安になる
という説明でした。
ASDのある子どもたちは、次に何が起こるか分からない状況に強い不安を感じやすい。
だからこそ、自分で予測できる世界、同じパターンが繰り返される世界を好みます。
同じ遊びを何度もする。
同じ動画を見続ける。
決まったルールにこだわる。
それは、単に変わっているからではなく、安心を保つための行動でもあるわけです。
「空気」や「暗黙のルール」が見えにくい
もう一つ印象的だったのは、
私たちが何となく分かっている「暗黙のルール」が、彼らには本当に分かりにくい、という話でした。
空気を読む。
流れを見る。
全体を見て判断する。
こうしたことが自然には入りにくいため、部分に強く注目したり、特定の要素にこだわったりすることが起こりやすい。
絵を描く場面でも、全体の構図より細部に入り込んでしまって、ものすごく丁寧に一部分だけ描いて終わってしまうことがある。
木を描くのに、全体の形ではなく葉っぱを一枚一枚描き続けて、途中で力尽きてしまうようなこともあるそうです。
これは遊びだけの話ではなく、生活全体に影響してくる特性だということでした。
「できるとき」と「できないとき」の差をどう見るか
保護者からよく聞く言葉として、
「家ではやらないんです」
「家ではできるんです」
というものがあるそうです。
でも、これも気分でやっているとか、できるのにサボっているという話ではない。
環境が違えば、求められることも違うし、使うエネルギーも変わります。
座り方一つとっても、ある姿勢がその子にとって非常にしんどければ、その姿勢で話を聞くこと自体が難しくなる。
つまり、その子にとっての「できる」は、環境の影響を強く受けていることが多いのです。
ここを「気分の問題」「やる気の問題」と見てしまうと、その子はとても気の毒です。
困った行動の前には、たいてい何かが起きている
安達先生が繰り返し話しておられたのは、
特別な行動の直前には、たいてい何かきっかけがある
ということでした。
だから、行動そのものだけを見て叱るのではなく、
- その直前に何があったのか
- どんな流れの中で起きたのか
- 何がしんどかったのか
を見ていくことが大事になる。
これが分かると、予防もできるし、周囲の側も少し余裕を持って対応しやすくなります。
「ほらまた」ではなく、「あ、この流れで苦しくなったんだね」と見えるようになるからです。
匂いを嗅ぐ、舐める、その行動にも意味がある
匂いを嗅ぐ、ものを舐める、唾を吐くといった行動は、周囲にとってはかなり困る行動です。
でもそれも、ただ「気持ち悪い」「変なことをしている」と切ってしまうのではなく、
- 不安を表出している
- 感触を楽しんでいる
- 落ち着こうとしている
といった可能性を見ていくことが大切だと語られていました。
たとえば、鉛筆やハンカチを舐める子がいたら、「気持ち悪い」ではなく、
「何か不安なことがあるかな」
「困っているのかな」
という目で見てほしい、という話はとても印象に残りました。
もちろん、だから何でもそのまま許すということではありません。
ただ、止めるにしても、背景理解の有無で関わり方はかなり変わるはずです。
パニックと試し行動は違う
困った行動のところでは、もう一つ大事な話がありました。
それは、パニックと試し行動は違うということです。
試し行動の場合は、大人の反応をちらちら見ている。
つまり、相手の反応を確認しながらやっている感じがあります。
一方で、パニック状態のときは、もうそんな余裕はない。
目も合いにくく、近づいてくるもの全部をはねのけるような反応になる。
ここを見誤ると、大人の対応がずれてしまいます。
さらに、困った行動に対して強く反応しすぎることで、その行動を逆に強めてしまうこともあります。
これは学校でも本当によく起こることだと思います。
「死ね」と言う子は、本当にそう思っているわけではないことがある
印象的だったのは、子どもが強い言葉を使う場面についての説明でした。
先生に「死ね」と言う子がいる。
でも、その子が本当に相手に死んでほしいと思っているわけではないことがある。
ただ、
- もう無理
- 分からない
- これ以上やれない
- この状況から逃れたい
その一心で、強い言葉しか出てこないことがあるのだと。
とにかく強い言葉をぶつけることで、この状況から命からがら逃れようという必死の抵抗をしていることがあるのです。
つまり、言葉通りに受け取るだけでは、子どもの困り感の本体を取り逃してしまう。
「そんな言い方をしてはいけません」と注意すること自体は必要な場面もあるでしょう。
ただ、そこで終わってしまうと、子どもの側には
「作文が書けない」
「課題が難しすぎる」
「もう限界だ」
という本当の苦しさが残ったままになります。
だからこそ、
「できないんだね」
「難しかったんだね」
「やりたくなかったんじゃなくて、やれなかったんだね」
ということを共感的に理解した上での、代わりの言葉を与えていくこと、取り組める小さな課題を提示することが大切になるのだと思います。
ちなみにこんな時に、ムキになって「絶対使ってはいけない言葉です」と指導が始まって、それに子供がまた反発などして授業が中断したり滞ったりする場合。 それは子供の求めるストーリーに大人が乗ってしまっていることになるわけです。 子供はむくれながら内心直面したくない授業をスルーしたことになるので、内心しめしめと思っていたりするわけです。 そしてこれも誤学習になってしまうというわけです。
激しい行動の奥にある「言葉にならなさ」
講義の後半で、僕が特に大事だと思ったのはここでした。
子どもが激しく荒れるとき、
そこには「わがまま」よりも先に、言葉にならない困り感があることが多い。
- まだやりたかった
- 悲しかった
- 一人ぼっちにされたように感じた
- 怖かった
- どうしていいか分からなかった
そうしたことがうまく言えないから、行動で出てくる。
だから大人ができることの一つは、その子の代わりに、まだまとまりきっていない気持ちを言葉にして返していくことです。
もちろん、ぴったり当たるとは限りません。
でも、違うかもしれないと思いながらも、
「本当は悲しかったんじゃない?」
「やりたかったんだよね」
「分からなくて困ったんだよね」
と声をかけていくことには意味がある。
少なくとも、分かろうとしてくれている、ということは届くはずです。
発達障害の理解は「子どもの内側を見ること」
講義のあと、参加者の方が
「頭では聞いたことがある内容でも、子どもの内側に入って見ている感じが伝わってきた」
「解像度が違うから、話を聞くと頭の中で子どもが動く」
と話しておられました。
本当にそうだと思いました。
知識としては知っている。
でも、その知識が生きた子どもの姿とつながっていないと、現場では使いにくい。
逆に、子どもの内側の見え方が少し分かるだけで、
「問題行動」に見えていたものが、
「困り感の表現」や
「不安への対処」や
「言葉にならないものの表れ」
として見えてくる。
その違いは、とても大きいと思います。
まとめ
発達障害のある子どもの行動を見ていると、
どうしても「なんでこんなことするの?」と思う場面があります。
でも、その行動の多くは、
ただ困らせたいから起きているわけではありません。
そこには、
- 見通しの立たなさ
- 感覚のしんどさ
- 不安の強さ
- コミュニケーションの難しさ
- 言葉にならない困り感
があります。
そして、その背景を少しでも理解できると、
大人の関わり方も変わってきます。
止めるべきことを止めない、という話ではなく、
止めるにしても理解を伴って止める。
指導するにしても、困り感を見失わずに関わる。
そういうことが大事なのだろうと思います。
今回のお話は本当に基本的な内容だったと安達先生はおっしゃっていましたが、
その「基本」の解像度がとても高く、現場の子どもたちの姿がありありと浮かぶ講義でした。
こういう基礎の精度が高いことが、結局いちばん実践につながるのだなと改めて感じました。
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また、天白こころとからだのケアセンターでは、今回のようなミニ講義や相談会も定期的に開催しています。
今後の企画について
今回は講義形式でしたが、安達先生ご自身も「今後はケーススタディを中心にやりたい」とお話されていました。
次回は、
・保護者の方
・支援者の方
が一緒になって、「こんなときどうする?」を直接ぶつけられるような、質問中心の会を企画したいと考えています。
今回ご参加いただけなかった方も、ぜひ次の機会をお待ちください。
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