なんであのとき修士論文じゃなくて不登校キャンプのボランティアをしていたのか?
大学院に進学したものの、自分で学ぶしかないと思い動き始めた時期について。
ピッピの会に続き出会ったのが不登校キャンプでした。
不登校キャンプ
この頃、県の児童相談所と、国立中央青年の家との共催で行われた親子参加の不登校キャンプにボランティアとして参加するようになっていました。
大学院生ということもあって、ほかのボランティアたちをサポートするボランティアリーダーとしての活動でした。
事前にプログラムが決まっているものの、子供との関りについては特に指導されることもなく、ほぼボランティアの学生の判断に委ねられていました。
「ある程度決まった枠の中で、ボランティア同士が頭を突きつけあって、プログラムの中身をより良いものにしていく」
「参加したすべての子供たちがいい体験をして家に帰れるように、関わり方についても情報を共有し、アイデアを出し合って工夫していく」
ということを僕自身は目指してやっていました。
子どもたちは、そもそも普段あまり人に関わっていない子たちなので、集団の中に入れなかったり、具合が悪くなってしまったり、泣き出したり、といったことがたびたび起こっていました。
その度に、流動的にボランティアの配置を変えたり、その場その場でその子たちに合ったかかわり方を考えて、ぱっとそこにチューニングを合わせるという、場を見極めたうえでの臨機応変な状況判断をしてました。(あくまで大学生レベルですが・・・)
それができなかったら、そこでもうキャンプは成立しなくなるわけで、今思えば自分の能力以上の、火事場のくそ力を出してやっていました。
また野外の活動なので大雨が降ってテントが水浸しになったり、急に寒くなったり、こちらでコントロールしきれない転校事案や、健康状態に関わるトラブルも起こってくるわけです。
そのたびごとに各家族の状態をチェックしながら、できることを分担してどんどんやっていく。
そういった危機状況では、まず安全確保のための迅速な行動ありき、という被災地活動のような感覚はここで培われたのかもしれません。
ボランティアとは何なのか?
当時はボランティアリーダーとしての役目と責任感に強い誇りを感じていたのですが、どうもボランティアという言葉に違和感を感じていました。
ある日の夜、国立中央青少年の家の職員と一緒に事務所に残ってお話をさせていただいたときに
「ボランティアと言ってはいるけど、自分は本当は子供たちのためというわけではなく、カウンセラーとして人と関わるときに必要な自分自身の技能を磨くためにここにきている。こういう感じでやっていていいのだろうか?」
というようなことをポツリと漏らしたところ。
意外なことに
「それでいいんだよ!」
「誰かに何かをしてあげることを目標にしちゃダメなんだよ」
「ボランティアも自分のためにが大切」
というようなことを言っていただいて、とてもホッとしたのを覚えています。
キャンプのほうが大事?
そんなこんなで、毎回来ていることもあって、ボランティア側の責任者として活動していた僕のもとに大学の教授より電話が来ました。
内容は「なんで指導を受けに来ないんだ!」「修士論文は進んでいるのか!」「お前は俺のことをなめてる!」「とにかく明日俺のところへ来い!」というような怒気を含んだものでした。
ところが翌日はこのチャレンジキャンプが控えていたため「すいません、明日はキャンプがあるので行けません」と丁寧に伝えたのですが、一呼吸おいて「本当にお前は俺を舐めてるな、もういい、お前は留年だ!」と怒鳴られ、そのまま電話を切られました。
まあ「しょうがない、実際キャンプのほうが大事だし」と粛々とキャンプの準備をする当時の僕でした。
一刻も早く追い出したいはずの学生が、なぜかいつまでも学校に残ってしまうというよくある話ですが、心の教室相談員として、毎週中学校に勤務したり、不登校の適応指導教室で指導員としてバイトをしたりと、のちに不登校支援やスクールカウンセラーとして活動したい、と思うようになる礎が作られた期間でもありました。
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