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なんであのとき合気道をやっていたのか?

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臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
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合気道競技について

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僕のやっている合気道競技(昭道館合気道連盟)には、自分の移動する力で相手を投げる「当て身技」と、相手の関節を捻ることによって、相手のバランスを崩して投げたり抑えたりする「関節技」と、タイミングと体捌きだけで相手の力を使って相手を投げる「浮き技」というものがあります。

合気道を始めた最初のころ、僕は「四方投げ」という関節技と投げ技が融合した技に凝っていて、そればかり練習していました。

その技は練習中の乱取りでは「ここ!」というタイミングで掛けることとが出来たら、いろいろな人に掛かっていたのですが、試合になると皆が「骨が折れてもいいから技にはかからない」という気合でいるので、なかなかその技が掛からなかったんです。

関節技を有効に使うには相手の足を止めなければならず、それには「当て身技」が必要だということに気が付き、四方投げの得意な先輩に相談すると「僕は正面当てがコストパフォーマンスがいいからよく使うけどね」という助言をいただき、夜中の自主練で、当て身技の打ち込みと、スピードと技の威力を高めるために、基本の「すり足」の練習を徹底して行うことにしました。

めんどくさがることで余計にめんどくさいことになる病

僕は元来面倒くさがりで、「手が疲れるから字を書きたくないのでノートは取らずに、一生懸命聞いただけで理解しよう」とか「勉強するのが面倒くさいので、マークシートの問題の文章を解析して、正しい選択肢と間違った選択肢を見分ける法則を見つける」といったような、 みんながやっている面倒くさいことを避けるために、違った面倒くさいことに取り組んでしまうというアホな病があったのですが。

ここでもその病が出てくるのです。

つまり「できるだけしんどい思いをせずに強くなりたい」という願望です。それをもう少し進めて「できるだけ自分にとってやりやすい練習だけして、最大限強くなれる方法を考えよう」というところに行きついたところで、楽して強くなる練習方法を考え始めるわけです。

(幸いなことにうちの大学の合気道部は、初心者でも運動経験がない人間でも全国優勝を狙えるところまで鍛えるというコンセプトのもと、当時のどの大学よりも厳しく、精神的にも肉体的にも限界まで追い込む練習をしており、練習が終わるとまず下級生は道場の畳の血を水拭きしてきれいにしなければならない、という感じだったので、基礎的な体力や、頭を使わないでとにかく動き続けるといった修練は十分されていたので、その上にさらにプラスするのは、人と差をつけるためのオリジナリティーのある練習で十分だったのです。)

そうなってくるともう苦しかったはずの普段の練習も楽しいんです。やらされていた練習が、自主性をもって取り組む練習に変わっていくんです。

短い時間で気持ちよく、成果の出る練習を考える、ということにハマっていきました。

パワーがなくとも交渉力で試合ゲット

そうすると当然試合に出たくなるものですが、当時の大学競技合気道界では、体重制が無いこともあって、パワー合気道ならぬ「ブル合気道」が流行っていました。

僕は小柄でパワーもいまいち、技もへたくそで、正直ぱっとしない選手でした。

ただし我が部で重要視されていた「芸出し」だけは、同期では抜群の実力を認められていて、まさに飲み会や合宿で頼りになる芸出し担当として「ここが私の生きる道!」という誇りを持っていました。

さらに同期だけでなく後輩にもたくさんの将来が期待されるパワーと技術を兼ね備えた連中が揃っていたので、メインの関西大会にレギュラーになるのはしんどいかな?(周りから見たら絶対無理!)みたいな雰囲気があったんです。

当時、監督に掛け合って、「出稽古五番勝負に行けば試合に出してやる」とか「部内戦で三位以内に入ったら試合に出してやる」という条件を出され、本部道場や近畿大学や関西学院大学に行って稽古したり。(あとどこか忘れたけどめっちゃ友達出来た)

部内試合もケガによる欠場者がいたり、三位決定戦で今まで一度も投げたことがなかった後輩を間違って逆の手に掛けた隅落としで投げて勝ったり。

なんだかんだで両方ともクリアできたのですが、「部内では経験値で優り手の内を知っている後輩に勝てても、試合の実力とは違う」と言われ、これは関西大会は無理だなと思い、関東大会の遠征のメンバーに潜り込むという作戦に出ました。

当時は関東遠征は、主力メンバーではなくても希望制で出場できることになっていたので、そこにチャンスを見出したのですが、なんとなく「お金もないし今年はやめようか」という雰囲気になっており、これまた監督に直談判しに行き、「自分でメンバーを集めること」を条件に関東大会行きを許してもらい、同期や後輩をしつこく誘って、なんとか団体戦と演武に出場するメンバーをそろえることができました。

掛かる技には理由がある

そこで困ったことが起きました。

「演武に取りで出ろ」という指令があったのです。

恥ずかしながら私は物覚えが悪く、型というものについて「一番下手」という苦手意識があり、相手を投げる「取り」ではなく投げられる法の「受け」なら、攻撃して投げられるだけなので、意外とできるかなと思っていたのですが、今回は「取り」で出ろということで、たまたま左ひじを負傷して乱取りができなかったこともあり、苦手な型の練習ばかりをして試合当日を迎えることになりました。

最初に演武競技があり、わが目を疑う準優勝。「あれ?意外と関東の人って、型を練習してないのかな?」と。

そして乱取りの団体戦は、奇跡の5連勝で決勝進出。

僕自身も出た試合4試合はすべて勝利し、今まで投げたことのないような技が簡単にかかるのがとても不思議でした。

準決勝だけは明らかに格上の選手で体捌き指導を取ってセコ勝ち。

決勝戦では、2-0で回ってきた副将戦、相手は関東の強豪、早稲田大学の主将。さすがに強くて、組んだ瞬間に隅落としという「浮き技」で投げられ「技あり」を取られました。

まさに何が起こったかわからないような瞬殺。

こんな鋭い技は初めて食らったと驚きと感動。

でも試合の終盤でなぜか僕の「逆構え当て」という苦手なはずの当て身技で「技あり」を取り返し、突きポイントの一点差で勝利。

(ビデオで見返したら足が掛かった反則技でした・・・;)

試合終了後、器の大きいその対戦相手に隅落としのコツを教えてもらいました。

それは、自分の重心の中心軸と、相手の肘を一直線に並べて、そこに頭から突っ込むというシンプルかつ合理的なものでした。

以後、独自のアレンジを加えて自分の得意技に変わっていくことになります。

いい技にはシンプルな掛かる理由(機序)があると感じた初めての体験かもしれません。

見えないところで複雑に、目に見える行動はシンプルに

また、乱取りの練習をしていないのに、どうして普段より簡単に相手に技が掛かったのだろうという疑問がありました。

これについてはやはり技の合理性は型の中にあり、演武の取りの練習をすることで、その技の合理性を意識せずに試合の場で出せるようになったのではないか?と考えるようになりました。

ここら辺から、見えないように複雑な動きと修練を体に覚え込ませ、試合中はシンプルに何も考えないで目の前の相手の動きにだけ集中していられるようにする、という考え方が生まれてきました。

自分の求めることのために周りの人間を説得したり交渉したりしようとする関りの力、掛けられた技に素直に感動し、教えを乞える純粋性、意識のないところで体が動く自動化の鍛錬、自分に芽生え始めたいろいろな要素がこの関東大会であらわになりました。

決勝の相手の早稲田大学は、この時実は主要なメンバーを怪我や都合で欠いており、出ていた選手もとても悪い状態で出場していたことが分かったのは、見事に11月の全日本大会で僕らがリベンジされた後でした。

 

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