かけい臨床心理相談室

アイデンティティーと資格について

WRITER
 
この記事を書いている人 - WRITER -
臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
詳しいプロフィールはこちら

将来臨床心理士や公認心理師を目指す大学院生と、実習関連の事前指導をしていて思うことがあります。

 

対人援助職のの資格をとること

対人援助職の資格というのは、それを目指す学生からしてみれば資格を取れば「何かできる」「自信がつく」「何かが変わる」と、とても大きな期待を持って向かっている目標のようなものだったりします。

 

世の中には心理カウンセラーをうたった資格、数週間や数ヶ月で取れるような資格は山程ありますが、実際に医療機関や教育機関といった公的な機関で働くためには「臨床心理士」今後は「公認心理師」の資格が必要となることがほとんどです。

 

それらの受験資格をとるためには、殆どの場合は養成カリキュラムを持った大学院を修了する必要があり、6年以上の心理学の基礎知識や精神医学の知識、実習を含めたトレーニングを受ける必要がありますし、それにかかる費用も大学の授業料やその間働けないこと、生活費を考えればとても大きな額が必要となります。

そこに自分を投入してしまった彼らは、多くの場合は人の役に立ちたいと思っていますし、専門資格を持つことで自分のアイデンティティにしようとなんとなくは思っているのではないでしょうか。

 

資金と時間とエネルギーを投入するということは、もちろんそういうことなのですが、かといって彼らはまだ単独でカウンセリングや心理的な支援が「出来る」というところまでは至っておらず、「何かしたい、何かしなきゃ」と思いつつも、なかなか「専門的な何か」は出来無い状態でいます。

 

彼らが臨床心理士の試験に受かり、無事に資格証を手にしたとしても、良いセラピストに成るためには、10年位は自主的に学びつつ、試行錯誤しつつ、コツコツと自分にできることとできないことを見極めていくという期間が必要になります。

 

そうなんです。

これはどんな資格でも同じことなのかもしれませんが、資格を持っていることと専門技能を持っているということは又別のことなんです。

 

アイデンティティーと権威

さっきアイデンティティーの話しもしましたが、自分のアイデンティティーの中の多くを資格だけに求めてしまうと、それは気づかぬうちに権威的なものとして機能してしまうと思うんです。

 

アイデンティティーってのは、自分とほかの人を区別するためのものですよね。

そこに重きをおいてしまうと「資格持っている人」「資格持っていない人」という分け方を知らず知らずのうちにすることになってしまうんです。

例えばこれが学歴や職歴、所属したことや賞罰なんかでも同じで、一般的に名が通っていたり権威ある何かだとなおさらで「◯◯大学出た人、そうじゃない人」「インターハイ出た人と出てない人」「一流企業にいる人、そうじゃない人」「県庁の職員と市の職員」とかね。

 

ラベルとしてのアイデンティティー

例えば学閥とか、◯◯が権威あるかって、そういうラベルとしてのアイデンティティーを無意識に強く持ってしまっているから出来ると思うし、それは人としては自然なことかもしれないと思うんですが、その文化を共有していない地域やコミュニティーの外から見ると、とても奇妙に映ったりするものですよね。

「ぼく◯◯に出たんです。◯◯って資格持ってるんです!」って思ってても、興味ない人からすれば「はぁ」みたいなもんで。

まあでもそれは自分が頑張った末に手に入れた誇りだったり、名誉あるラベルなわけだからそれがアイデンティティーの一部でいいんですが、そういう簡単にラベルにできないアイデンティティーもありますよね。

 

ラベルに出来ないアイデンティティー

それはその人が体験や学びの中で培ってきたものの考え方や、価値観、生き方、技能や生活の在り方、そして人との繋がり方、表現方法そのものだったり。

これってのは、プロフィールにも簡単には書けないし、書いてもラベル的なものに比べて分かりにくい。

それはきっとラベル化、数値化出来るものとちがって、上下位置がないし、その人がどこにマッピングされるのか、相対的な位置がなかなか分からないものだからだと思います。

 

こればっかりは、その人をじっくり観察して、じっくり付き合ってみて、自分自身がその人と深く関わってみなければわからないものですし、そこには必ずその人に関与する自分自身の視点や存在が係るものだから、関係性そのものが常にお互い影響を与え合ってしまう。

 

あくまでも自分からの視点のもので、けして不動のものでは無いですし、逆に自分も観察されて関わり合われて、変化し続けてしまっているんです。

 

人と人とのつながりとしてのアイデンティティー

そういう人と人とのつながり自体が、自分とそして回りにいる誰かのアイデンティティーになりうるし、その人がいることによって今の自分の位置が同定される、ということが絆ということなのかもしれないとも思いますし、アイデンティティーとしては分かりやすいラベルよりもソッチのほうが圧倒的に本質的ではないかと思います。

 

ラベルに振り回されない生き方

だからね、資格を目指していて「◯◯になりたい!」って思って、実際になれたら大喜びでいいと思うんですが、そのプロセスで何が起こったか、何を学んでどう考えたのか、誰に助けてもらって今誰と一緒にどこに向かっているのか、っていうことをちゃんと感じて考えることのほうが、自分が何者なのか考える上で、よっぽど大事なことかなって思います。

 

「自分の持っている肩書をバンバン活かさないと!」とかってよく言われるけど、でもバランスですよね。

外向きには肩書を使っても、心のなかでは「そこ大事じゃないとこだし!」って舌出してるくらいで。

自分であることを分かりやすいラベルに依存したら、それはもう知らぬうちに権威的になってしまっていることに気づけないですよね。

*権威ってのは僕らの仕事ではどうやってそれを自分の身から振り払うのか、ってことが大事な局面に入ってきているので、自分が知らず知らずのうちにそうなっているなんて話にならない状態なのかも。

 

そういう人は色んな意味で止まっちゃうんだと思います。

 

自分も含めて、自分の持っているラベルに振り回されないように、生きていけれたらと思います。

 

ラベルのその先を見つめる

これから何か職業につきたいって思っている人、そこがゴールのような気がしている人には、「どんな◯◯になりたいの?」って、常にその先を考えていれば、権威的になって停滞することは無いんじゃないのかなとも思います。

この記事を書いている人 - WRITER -
臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
詳しいプロフィールはこちら

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© スクールカウンセリング研究所 , 2018 All Rights Reserved.