臨床家に必要な「国語力」とは何か
――国語の成績と、対話の力は別物である
ここ最近、臨床心理士や精神科医の方などと、臨床家に必要な言語能力、いわゆる「国語力」についてみんなであれこれ話をしていました。
ここで言う国語力は、
いわゆる国語の成績が良いかどうかという話ではありません。
国語のテストというのは、基本的に
「答えが用意されているもの」を、
どれだけ正確に読み取れるか、という能力を測るものです。
それができること自体は、もちろん大切です。
けれど、それがそのまま
臨床で人の話を聞き、理解できる力につながるかというと、まったく別です。
紙の上の文章を読むことと、人の話を聞くことの違い
紙に書かれた文章を読むとき、私たちは
自分のペースで読める
立ち止まって考えられる
客観的な距離を保てる
という条件の中にいます。
一方で、対話はそうはいきません。
リアルタイムで進む
相手の言葉は修正され続ける
自分自身もその場に参与している
つまり、**対話は「双方向で同時進行する出来事」**です。
ここでは、自分の理解力だけでなく、
待つ力
流れを壊さない力
相手の言葉が立ち上がる速度に合わせる力
が問われます。
国語が得意でも、対話ができないことはある
実際、
国語の成績が良かった
学歴も高い
頭の回転も速い
それなのに、
なぜか人の話をちゃんと聞けない
という人は、臨床の世界のみならず、結構あちこちにいるのでは無いでしょうか。
その理由を一言で言うと、
「待てない」 からです。
「国語力」は必要ですが、その前に「対話力」がなければ、その能力は活かせないということです。
「ああしてやりたい」「こうしてやりたい」が邪魔をする
対話の場では、しばしばこんなことが起こります。
相手が話している途中で
「次はこう言うんだろう」と先が見えてしまう(決めつけてしまう)
「この人にはこれが必要だ」と判断が早く出る
良かれと思って、流れを切って介入してしまう
するとどうなるか。
相手が、
気持ちよく話していた流れが遮られてしまうんです。
本人は「助けているつもり」でも、
相手にとっては
話しきれなかった
途中で回収された
もう話さなくていいかな
という体験になることがあります。
対話は「自分が参与してしまっている場」
臨床対話の難しさは、
自分が完全に客観的ではいられないことにもあります。
感情が動く
焦りが出る
何とかしなければという衝動が湧く
そうした内側の動きがある中で、
なお相手の語りを壊さずに「待つ」。
これは、
知識や理論以前の、かなり基礎的な対話の力です。
「話を聞けない人」は、理解できないのではない
ここで大事なのは、
話を聞けない = 理解力が低い
ではない、ということです。
多くの場合、
話を聞けない = 待てない
なのです。
結論に急ぎたい
正解を出したい
役に立ちたい
無力感に耐えられない
こうした気持ちが、
相手の語りより先に前に出てしまう。
臨床家に必要な国語力とは
こうして考えると、
臨床家に必要な「国語力」→「対話力」とは、
文章を正しく読む力
用語を理解する力
だけではなく、
相手の言葉が立ち上がるのを待つ力
未完成な語りを途中で回収しない力
自分の衝動を一拍遅らせる力
こうした、対話の中でしか鍛えられない力だと思います。
基礎講座のさらに手前として
個人的には、
こうした「臨床以前の対話の営み」そのものを扱う講座が
もっとあってもいいのではないかと感じています。
技法の前に、待てているか
理論の前に、流れを壊していないか
解釈の前に、相手の言葉が終わっているか
そこを一緒に見直すような場です。
臨床の力は、
派手な介入よりも、
何もしないでいられる時間の中で育つことが多い。
そのことを、あらためて考えさせられる話でした。
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