かけい臨床心理相談室

【考えていること】前提、暗示について

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臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
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暗示について、暗示とは暗いところ、つまり無意識に語りかけるということなんです。
無意識に語りかけるなんて怖いじゃん!と思いますが、意識化されないようにメッセージを送るということ。
これは意識していなくても誰もがお互いにやってしまっていることです。
意識化されないということは、「言葉」として明確にしないでメッセージを伝える、伝えてしまっているということです。
その行動や言葉がどういう「前提」を踏まえているか?ということを考えてみるとわかりやすいと思います。
僕ら支援者がよくやってしまっているのは「大丈夫?」と聞いてみたり、失敗しないように先回りして障害を排除しようとするということの前提は何でしょう?
それは相手が「傷ついている」「大丈夫ではない」「できない」「失敗する」という前提があると考えて良いでしょう。
鬱病の人に「がんばれ」と言ってはいけない、という言説はかなり市民権を得た気がしますが、なぜ「がんばれ」と伝えるが良くないかといえば、そこには「お前はがんばっていない」という前提が含まれているからです。
言葉のセンスに長けている人というのは、この「前提」について敏感に気付ける人ということではないかと思います。
普通の時は、そういうことはいちいち考えないで生活が出来るものですし、意識している方というのは少ないかと思います。
しかし、世の中には恐ろしいほどにこの前提に鈍感な人もいるわけでありまして、そういった前提に鈍感な人は「いい表情」で「いいことを言っている感じ」でネガティブな前提を持った言葉を押し付けてくるわけです。
普通の感覚の人は「悪気があっていってることじゃないしね」と流せるのですが、「前提」に敏感な人は、いちいちその人の言うことに引っかかって傷ついてしまうのに、「悪気がない」のも察知してしまうので、なんとも言えない気持ちになりながらその場を後にすることになります。
東日本大震災の時にもこの「がんばれ」という言葉に注目がいったことだと思いますが、遠くから言われてみてはじめて「頑張れって何??」と感じるわけです。
孤立した地域にいて、ボランティアから物資を支援されている漁師さんが、支援者たちが帰ったあとで自重気味に「俺達は乞食になっちまった」と笑っていたという話は忘れられません。
支援というのは、やり方によってはする側とされる側の間に一本の目に見えない溝を引いてしまうこともあります。
支援したつもりになって、相手から目に見えない何かを奪っているということもあるということです。
人はその立場になってみないとなかなかわからないものですし、人によっては本当にピンとこない話なのかもしれません。
*余談ですがHSP(Hyper Sensitive People)という言葉を最近よく聞くようになりました。
「私が傷つきやすいのはHSPだったからだったんだ、と知ってホッとした」という文脈の話が多いのですが、この傷つきやすいと感じている人の多くは、この「前提」に気付きやすい方が多く含まれているのではないかなと思います。
さて、カウンセリングなどの支援の現場でも、この善意に満ちた「ネガティブな前提を含んだ暗示」というのはまかり通っているような気がします。
今現在、こういった「ネガティブな前提を含んだ暗示」に繰り返しさらされているような関係があれば、それをまずは少なくすること、逆に「ポジティブな前提を含んだ暗示」が増えていくような介入が出来るのが一番ではないかと思っています。
例えば受験生の子どもに親が「大丈夫?もっと勉強しないと受からないわよ」と何度も言うということは、とっても普通でごく当たり前のことなのですが、実は「普通にしていたらお前は受験に合格する力はないぞ」という前提を含んでいることなので、しつこく言われすぎると子どもは腹が立ってくるものです。
なにせ(たとえ周りに見せないようにしていても)自分も不安に思っていることを何度も刺激されるわけですから、相当にストレスなわけです。
そして子どもによっては、言われるたびにじわじわと自信を失っていくことでしょう。
例えば急に進路を変えた生徒に対して、その生徒に信頼されている先生が「あなた本当に大丈夫なの?」と深刻な顔で聞いたとします。
もちろん心配して当たり前のシチュエーションですし、心配の言葉をかけることはふつうのコトなのですが、言われている方としては、相当に困難に向かうためのエネルギーを失うことでしょう。
そういうシーンを見るたびに「そこは、大丈夫、うまく行かなかったらまた相談しにおいで!」と後ろでぐっと支える姿勢を見せるべきじゃないかよ。
具体的な案もなしに「ネガティブな暗示かけてるんじゃないよ!」と思ったりもします。
善意の心配という皮を被った「お前は大丈夫ではない」という「ネガティブな暗示」に対して、言われた人にはどうにも為すすべは無いものです。
例えばですが、褒めるときも下手くそな褒め方はあるわけです。
本当にこんな事を言う人がいるのかどうかはわかりませんが、「あなたこんないい成績が取れるなんてお母さんは鼻が高いわ」というセリフにはどんな前提が含まれているでしょうか。
「あなたがいい成績を取るのは私のため」「あなたが成績が悪かったら私はとても恥ずかしい」という前提が含まれていますよね。
もちろん言われた子どもは嬉しいかもしれないけれど、頑張れば頑張るほどなんだか虚しくなっていきます。
例えば「さすがはお父さんの子ねえ」みたいなのも「いやいやオレ個人の努力やそこまでの過程にぜんぜん関心持ってないだろ?失礼すぎるわ!」なんて言える子どもなんてなかなかいないわけで。
いや「褒め言葉」なんですよ。
「褒め言葉」なんだけど、「前提」を考えて発しないと、相手や関係性によっては、深く傷つけたり、元気を失わせたりしてしまうということもあるということです。
もちろん平気な人は平気だし、善意だけちゃんと受け取れる人もいるわけです。
でも誰かの支援をしている人や、誰かの成長や教育に関わっている人は、ちょっとだけそこに敏感になっていたほうが良いのではないかと思っているわけです。
(敏感になるといらんことで傷つくことも増えるわけですがそれはそれとして)
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