かけい臨床心理相談室

ロールプレイ実習をして気づいたこと

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臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
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ロールプレイでの気づき

親と子ども、両方がいる面接場面についてのロールプレイをやった時に気づいたこと。

初心者は子どもと親と両方と関係を維持しようとするとこんがらがること。

熟練者は、起こったことに対して包括的に「この状況をどう効果的に利用してやろうか」と考えて、子どもにメッセージを発しながらも同時に親にメッセージを発信(逆もあり)しているということ。

子供と親が対立している場合。

例えば終了時間間際、面接室に子どもが入ってきてしまい、「お腹すいた」「もう家に帰りたい」「もう学校行きたくない」と勝手に話をし始めたり、その場でうずくまってしまったり、親にじゃれていってしまうシーンで、多くの親は「今はお話しているところでしょ!もうちょっと外で待ってなさい」となり、

その場にいようとする子どもVS外へ出そうとする親

という構図が現れます。

この場合はセラピストはどちらの側に加勢すればよいのでしょうか?

 

面接構造が崩れてしまっているのでなんとか守らなければいけない、と思うかもしれません。

子どもの寂しさを分かって受け止めてあげたい、と思うかもしれません。

上の立場は、母親と一緒に連合(?)が出来そうです。

下の立場で行くと、子どもとは関わることが出来ますが、母親の言葉と行動の逆を行ってしまうかもしれません。

子どもの傍に座って「どうしたいの?帰りたいのかな?」と声をかけた人も居ました。

二人のヒートアップする会話、というか言い合いを止めるために、スッと手を使って母親にストップのサインを出す人もいれば「そろそろ時間なので帰りましょうか」と言葉で区切ろうとした人も居ました。

二人の言い争いがどうなるかなって、ワクワクしながら見守っている人も居ました。

自発的なアクションを起こせず「焦っちゃって何も出来なかったです」ということ自体が、「なにもせずその場に居た」という行動になっている、と考えたほうがいいんです。

子どもに「ひょっとしてお家では言えないけど、ここでは言いたいことが言えるかも?って思うのかな?」と声をかけたのは熟練セラピストでした。またセラピスト役をやった時に困って何も言えなかった人が、子供役をやった時に「自分の行動で大人が慌てているのが面白くって、もっとやっていたいと思いました。子どもってこういう気持ちだったんだ!」と後で振り返って話してくれました。

つまり、ただの言い争いが起こっているのではなく、セラピスト役が居て、面接の構造があってこその今の「親子の言い争いの状況」が生まれているということです。

大きな介入と小さな介入

介入に大きな介入と小さな介入があるとすれば、例えば子どもに話しかけたり会話を止めようとするのは大きな介入ですし、例えばニヤニヤした表情を浮かべながらその場を維持するのは小さな介入かと思います。

僕自身は、小さな介入を積み重ねて前提を作った上で、大きな介入につなげる、という筋道を通ったほうが、相談に来た方々との信頼関係を守り、かつ有益な時間を過ごしてもらうという目的のためには、安全な方法なのではないかと考えています。

小さな介入だけで終わってもいいんです、次回につながれば、種まきをしたことになるので。

小さな介入というのはつまり、セラピストが「どんな気持ちでその場に居るか?」「どんな状態を維持し続けるのか?」「通常の言葉かけや行動にどんな意味や前提をもたせるのか?」といったところでしょうか。

例えば「まっすぐに寂しいって言えない子どもの気持ちをある程度わかりつつも、目の前のセラピストへの礼儀や、時間という構造をちゃんと守ろうと、そして子どもに守らせようとしてるんだな〜、真面目な人だな〜、そして子どもも、ちゃんとギリギリまで待ってから来たのはえらいよな〜、そこは言葉にして伝えてあげたいな〜」とか。

「この二人はここでしかこういうやり取りできないかもしれんからもう少しやってもらおっかな〜」とか。

「ま〜、お互いがお互いを大事に思っているのは確実だから、もうちょっとこの先どうなるか見せてもらおうかな」と、少しホッコリした気持ちになりながら見守るのと、「どうしよう、時間もないし止められないし、どうしたらいいんだろう??」と不安な気持ちで見守ること、どちらも違った良さと意味があります。

 

前者は言い合いをすること(子どもが気持ちを表明することや母親がそれにリアクションすること)の肯定というか、親子にとってはある意味安心感をもたらすだろうし、後者については子供役をした方から「慌ててくれるのが嬉しかった」「無理に何かさせられるという感じはしなかったので安心できた」とフィードバックがあったように、どうしていいか分からずにそこにいること自体が、非意図的な介入となってしまっているのは明らかでしょう。

 

関与しながらの観察、セラピストがそこにいること

「関与しながらの観察」っていうアメリカの精神分析家のサリヴァン先生の言葉なんてのは最近カウンセリングを勉強している人は知らないのかもしれませんが「セラピストがそこに居る」って事自体が、介入になってしまっていることには気づいていたほうがいいと思うんです。

つまり、小さな介入というのは、無意識的にやってしまっている行動や、通常発している言葉の持つ意味、前提を意識化して精査することによって、はためには介入と映りづらい、つまりとても抵抗しづらく、副作用の少ない介入というようにも言えるかもしれません。

話は戻りますが、その場にいようとする子どもVS外へ出そうとする親、という文脈が目の前に出現した時に、少なくともその文脈が出現した必然性に目を向けるところから考えをスタートしてみるといいのかもしれません。

「そもそもこの構造の作り方に無理があるんじゃないのか」「どんな気持ちで子どもは外で待っていたのだろうか」「普通は真面目な親だったら子どもが失礼なことをした時に、他の大人が怒るより先に自分が怒らなきゃって思うよな」「入ってきちゃダメ、って言われることを承知で入ってきているよな」「少なくとも悪いことをしたら捨てられる、みたいな恐怖感が無いってこと、まともな親子関係があるってことだな」「子どもはいつも、もっと母親に関わってほしい、って思っているんだろうな」「とはいえこの時間まで待っている力はあるんだな」

と、いくらでもこの構図の前提として考えられるものが出てくるはずです。

 

素材を介入に利用する姿勢

そういった前提要素のどこを利用して、どこを一時的にせき止めて、どこに乗っかって、介入プランを作っていくのか?つまり目の前に転がっている材料を上手く使って介入をすることで、より抵抗が少なく効果的な介入をすることが出来ます。

「お母さんちょっと待ってね」と遮ること。

「今まで寂しいなと思いながら待ってたんだったら悪かったね」と気持ちを翻訳してみること。

「そもそも待っててもらうこと自体に無理があったかもしれないから、次回は待てなくなったら3人でお話しようってことにしませんか?ぜったいこの子の幼児だったり調子が悪かったりで行きたくないという時があるので、その時はチャンス!ということでお母さんの話ガッツリ聞きますよ」と構造を変える提案してみること。

そして「やっぱり3人で話したほうがいいかな?」と子どもに提案してみるのもありかもしれません。

 

要はまだ語られていない文脈や前提を状況や言葉から読み取り、その構造自体に乗っかる形で小さく小さく、時に少し大きく介入をしていく、ということをやってんだなあ、と思ったことをつらつらと書いてみました。

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