【プロフィール】子供の頃の遊びをおぼえていますか?その1 でんきや伝説
子供の頃って
僕は子供の頃はおとなしい方で、外で遊ぶよりも、家の中でTVを見たり本を読んだり、あれこれと空想をして過ごすのが好きな子どもでした。
小学校に入ると、近所の友達の家で将棋をしたり、ブラックジャックやらんぽうといったチャンピオンのマンガを読んだり。
コロコロコミックスを読んで懸賞ハガキを送ったり。
家と家の間の塀の上を走り回っておにごっこしたりして遊んでいました。
TVゲームの登場
ちょうどその頃、エポック社のカセットビジョンというTVゲームや、得体のしれない海外のTVに繋げるゲームが出ていて、なんとなくTVがゲームになる不思議さと面白さを感じていました。
また、駄菓子屋には50円で出来るアーケードゲームと言われた業務用の機械が入っていて、最初の頃は確かペイントローラーとか、ドンキーコングとか、アイスクライマー、クレイジークライマー、そしてディグダグなんかが人気でした。
あードラゴンバスターとかツインビーもあった!
ドラゴンバスターはゲームなのに「かぶと割り」って技があったり、ツインビーではシューティングなのに協力プレイがあったり鈴を鳴らしてパワーアップしたりと新しい要素がたくさんありました。
後半の方にはsonsonや魔界村、1943、戦場の狼といったカプコン勢の人気が上がり、他にはエグゼドエグゼス(今エグゼドって打ったら変換候補でエグゼドエグゼスって出てきてびびった)だったり、熱血硬派くにおくんなんかが人気だったような。
ビックリマンとかもやったな〜。
sonsonてのは天竺を目指して強制スクロールでのんびりと進んでいくゲーム。
魔界村はひげの騎士がやりを投げて魔物を倒していくゲームで、演出がいろいろ細かくって難しいのにみんなで夢中になっていました。
「硬い」って言葉を初めてゲームで使い始めたような記憶があります。
例「レッドアリーマー硬いわ!」「いや、そんなに硬くないら!」みたいな。
僕らのホーリーランド「でんきや」
その駄菓子屋は「でんきや」って呼ばれていたのですが、なんでかな?昔は電気用品を売ってたのかな?と思いつつ、ゲームのために目をギラギラさせた小学生が集まっていました。
ゲームにつかれた僕らは、ゲームをやるはずのお金でつい、30円の小さい丸い砂糖のいっぱい振ってあるカステラを買ったり、小さな10円のヨーグルトみたいな木のヘラで食べる何かを買ったり、キャベツ太郎的なお祭りの絵が書いてあるものを買ったり、くじを引いたりしていました。
うん、得体のしれないものを買っていたわ。アラカルトで楽しいね。笑
でんきやのおばちゃん
記憶では、白っぽい割烹着みたいなのを来たおばちゃんがいつも真ん中に座っていて、ゲームをやるために両替してもらったり会計してもらったりしてました。
子どもだからゲーム以外にあまり関心がなくて、その人がどんな人生でどんな家族が居てとか、全然分からなかったけど、なんとなく静かで怒ったりはせず、でもちょびっとだけ寂しさというか影のようなものを薄っすらと感じさせる人だったような。
でも、なんとなくこの人がいなくなったらこの「でんきや」が無くなるんだなあと思っていました。
中学生になると、新しく中学で仲良くなった友達の小学校区の、ちょっと年齢層高めの、もう少し下町っぽい、暗い感じのする駄菓子屋や本格的なゲームセンターに行くようになり、小学生の集まるそのでんきやには行くこともなくなりました。
高校を卒業した後は地元から離れていたのですが、大人になって、そのでんきやの前を通りかかってみると、いつもシャッターが降りていて、それを見るたびに、あ〜あのでんきや、まさに僕らのホーリーランドはその役目を終えたんだなあと思うのでした。
子供時代って、なにげに見守られてる?
そして、いつも少ない小遣いをでんきやでのゲームに注ぎ込む僕を父や母はどう思っていたのか、特に注意された覚えもないので、しょーもないことにお金を使って、と思いつつも様子を見てくれていたのかもしれません。
それはきっとすごく恵まれていたことなのでしょう。
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