常勤のスクールカウンセラーをしてると、非常勤と違う葛藤があるよ

常勤のスクールカウンセラーの仕事とは
カウンセリングって一言で言っても、いろいろな要素が詰まっています。
話を聞いて整理する情報処理
感情に寄り添っての情緒的な反応
支援のための介入法についての計画立案と伝達
カウンセリング場面では、いろんなことが同時に行われているものですが、常勤のスクールカウンセラーでは介入の規模が学校という組織規模になっています。
そのため、やりとりや情緒的なところ、情報処理は個々に向けて多人数にやりつつ。
計画立案については、個人だけでなく、組織に対して介入方法を考えてやってく。
個人への介入も、対組織の一部、その逆もまたそう、って意識でやらざるをえません。
学校臨床は基本的には組織臨床
基本的には・・・・個人臨床 < 組織臨床
なのですが、臨床家はもともと(この仕事選ぶ時点で)個人主義的なとこがある人が多く、集団の中で不当に弾圧されたり、力を失っている個の部分をエンパワメントしたり、表現を助けていくって意識があると思います。
たまに週一で来る外部の専門家(SCやSSW)がそれやって、学校組織としての考えとちょっと違うなあ、と思われても「あーそうですかー」と流してくれますが。
常勤で、学校職員としてその感じでやってると、教職員集団の中から浮きやすく、そして「甘やかしてどうする」的なよくわからん論がやって来たりするんですよね。
そうすると組織の中で機能できなくなる。
ここで、教職員の流れに迎合する道と、あまり関わらずに丸投げ的個人臨床をやっていく道。
そして、どちらの道もとらずに、学校のまだ見えていないニーズを探して、少しずつそこへの介入方法を見つけていく道があります。
迎合する御用聞きは、教職員支援と言いつつ、学校のニーズではなく教職員の今見えているニーズを満たすことで、居場所を確保しようとしてしまっていることがあります。
逆に教職員の持つ大変さや仕組みの縛りをわからずに、「専門的知見」だけを押し付けても、無視され排除され、介入出来なくなってしまうのは明らかで、そこに気づかずに「だから学校は!」と鼻息を荒げるのも意味がありません。
学校組織にジョイニング
じゃあどうするかといえば、一つは学校組織の考え方、文化、ルールを理解して、そこに合わせていく(家族療法でいうジョイニング)こと。
合わせた上で徐々に方向を変えていくズラし。
ミルトンエリクソンのユーティライゼーション、ペーシングとリーディングに端を発する、津川先生の合気道的臨床、合わせとズラし、という臨床の知は、個人臨床のみならず、組織の中で柔らかく泳ぎ回るためには素晴らしく実用的な考え方で(ここまでくると組織のことも個人臨床のことも入り混じって、部分は全体であり、全体は部分、みたいな混沌な気分になってきます。)
具体的には、今できることと出来ないことを分けて、小さなできることに必死に取り組んで、少しずつ大きくしていくこと。
今できないことが出来るようになるための土壌を耕していくこと。
それは人間関係のことかもしれないし、業務のやり方を整理していくことかもしれません。
ニーズを分けて考えてみる
もう一つは、学校のニーズと先生方のニーズと自分のニーズと児童生徒や保護者のニーズを分けて考えてみるということです。(非常勤SCであってもこの意識が明確にあると、有機的に学校や保護者も含めて連動して動くことができます)
もちろん、先生だって児童生徒だって一人一人の持つニーズは違うのですが、常勤のSCの場合は、学校全体の心の健康のマネジメントに関わらなければいけないんです。
つまり個人への支援をしていたとしても、それが学校組織としてはどんな意味があるのかとか?誰と誰が関わるのが良いのか、または関わらせないほうがいいのは誰なのかとか、そんなことを誰がどう思っているかとか、ややこしい学校ないの力動を読みながら、その個人の支援による利益が最大化する(そしてかかるコストが減る→限りある資源が活かせる)ように、例え自分がその直接の支援から外れることがあっても、全体的にプラスなのが見えたらOKみたいな気概が必要なところもあるんです。
そしてもし可能であれば、誰も気づいていない学校の持つ潜在的なニーズを見つけて、そこに徐々に味方を増やしながらアプローチしていくなんてことができたらすごいですよね。
でも、きっとそういうことができる人が増えていくと思いますし、常勤SCが目指すところってそんなところなんじゃないかと思います。
こんな話にもつながっていきます。