かけい臨床心理相談室

カウンセリングを始めてもすぐ中断になってしまうと悩んでいる人に読んでもらいたいお話

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臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
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前回のブログ記事洞察力を磨くにはどうすればいい?の反響が大きかったのと、書き忘れたことがあるのを思い出して続きを少しだけ書きます。

洞察力を磨くにはどうすればいい?

先入観を磨くこと

森俊夫先生は「先入観を磨くこと」とお話されていましたが、それはつまり「観察力を磨くこと」でもあると。

そして「人の『感情』は分からなくても『体の動き』は観察できるよね」と話してくれました。

洞察力は高い方がいいし、早く理解できることができることは相談に来た人にとって利益のあることなのですが、前回「早わかり」と書いた事態。

つまり勝手にこうだと思い込み、そのずれた先入観のままで介入してしまう状態、そして相談者が「それ違うのに」とか「なんかズレてるんじゃないのか?」と思いつつもそう言えずにいる状態が最悪なわけで。

世の臨床心理の指導者が「焦って相手を理解しようとするな」「時間をかけてじっくりと情報を集めろ」と言うのは、そういう最悪な状況にならないための戒めの言葉なのです。

 

違和感に気づく力「逆転移センサー」

ではその最悪な状況を避けるためにはどうしたらいいのかといえば、大きく分けて2つの方法があります。

一つは「身体感覚や観察をもとにしたズレへの気付きと修正」もう一つは「オープンで失敗について話し合える関係性の構築」です。

カウンセラーに限った話ではないかもしれませんが、初心者の時には自分より年齢や社会的地位、様々な人生経験が高い人の相談を受けねばならないことが殆どで、そういった時に人は無意識に、自分を守ろうとして偉そうに振る舞ってしまったり、専門かぶろうとして妙に方に力が入ってしまったりします。

相手に対して「自分のことを信頼して欲しい」「バカにされたくない」という無意識の気持ちが、自分の中の焦りや不安を拡大して、行動や言葉をおかしくしてしまうということに、普段だったら気づけるのですが、そういうLIVEの場では、なかなか振り返ることが出来ません(焦っているから尚更ね)。

ここで大事になってくるのは「違和感」なんです。

「なんとなくの言葉にならない身体的な違和感」について、自分と相手への観察に基づいて明確に言葉にしていくと、例えばなんか自分の重心が前のめりになっていたり、いつもより口数が増えていたり「相手のためになんとかしなきゃ」という気持ちがムクムクと大きくなってきていたり。

そうやって自分は盛り上がっているのに相手の目線が伏し目がちになっていたり、ちょっとこれ言うのやめよう、って顔をしていたり、声のトーンが少し落ち目に変わったり。

明確に気づいているわけではないのですが、なんとなくの相手と自分との「違和感が広がっている時」っていうのは、こっちの理解や向かっていこうとしている方向性が、相手にフィットしていなかったり、想いとずれてしまっているサインなんです。

コレに気づくためには、自分の身体感覚に対するモニタリングと、相手の身体の動きへの観察を、なんとなく、しかも常に行っている必要があります。

昔、精神分析的な心理療法を行っていた時は、これを「逆転移センサー」って勝手に名づけて使っていましたが、まあつまり、なんとなくの雰囲気がおかしいな?って思ったら「あれ?なんか僕ずれちゃってます?」って素直に相手に聞いてみるのが一番だと思います。

「オープンで失敗について話し合える関係性の構築」

相談に来た人に対して、カウンセラーって内実が伴っていなくても常に「権威的な存在」なわけで、だから聞きたいことがあっても聞けないし、いやだなと思っても「はい、はい」と適当に相槌を打って、「もう二度と来るか」と思ってもそれを言わずに次の予約をキャンセルみたいなことになると思うんです。

対話の専門性と資格の専門性は別物じゃ!ナラティブコロキウム6

でも述べたのですが、だからこちら側から意識的に権威の階段を降りて「なんか頼りになるけど、言いたいことを言っても大丈夫そう」とか「なんか頼りにならないけど、会うと不思議と元気になる」という存在にならないといけないと思うんです。

 

僕の尊敬する副島賢和先生という院内学級やホスピタルクラウンをされている先生がいるのですが。

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その先生が小学校の先生をされていた時に、黒板の漢字の間違いを児童に指摘されたそうです。

みなさんが先生の立場だったらどうするでしょうか?

副島先生は「え?間違っちゃった?教えてくれてありがとう。じゃあ皆で辞書を引いて調べてみようか?」と自ら辞書を引いて子どもの前で調べてみせるそうなんです。

副島先生は「子どもに間違いを指摘されたらプライドを傷つけられて怒る先生もいるし、僕もやっぱり若い時はそうだったけれど、子どもはそういうところを見ているんですよ。ああこの先生ダメだなって、何も言わないほうがいいなってなるんですよ」と。

「でも逆に間違いを認めて調べることで、『間違えてもいいんだよ』と『間違えた後に修正したり成長することが出来るんだよ』ということを教えることが出来るんです」

という風に教えてくれました。

「なんでも言いたいことを言ってくれ」って言って、実際に言ったら怒る先生とかいますよね。

学校の先生と、カウンセリングでは少し違うところもあるかもしれませんが、そういうハリボテじゃない、ほんとうの意味での権威というか、自然な存在感、この人とだったら、話したいことを本気で話せる、共有できる、って思わせる力は、権威の階段を一歩でも二歩でも三段飛ばしでも、相手のためになら平気でぴょん!と降りることが出来ないと、なかなか身につかないのかなと思いました。

 

自らの失敗を認めて相手に尋ねてみる

自らの失敗を認めて相手に尋ねてみる、というのは勇気のいることです。

でもやらないよりはやったほうが全然マシ。

「オープンで失敗について話し合える関係性の構築」

っていうのは、そういうことです。

 

もしそれが出来るようになれば、今までよりももっともっと、相談に来た人と一緒に問題に取り組める、つまり協働的に解決に向かって働きかけることができるようになると思います。

そして何より「こちらが失敗しても、相手が教えてくれる」というように相手を信頼することができるようになるかもしれません。

「何を無責任な」と思う人もいるかもしれませんが、そういう人は相談に来る人を助けるのがカウンセラーという枠組みから自由になっていないのかもしれません。

「相手の気持」については「相手が専門家」です。

その専門家に、ちょっとずつでもわからないことを教えてもらいつつ、それでいてその専門家の利益になるような解決への道筋を一緒に考える、というのが、今現在求められているカウンセラーの姿なのではないかと思います。

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