【公認心理師資格試験対策講座】 ③公認心理師の法的義務及び倫理
【公認心理師資格試験対策講座】②多職種連携及び地域連携「はじめに」 Ⅰー公認心理師の職責 「抱え込み禁止と丸投げ禁止、そういうのは連携ちゃうで〜」
の続きです。
公認心理師には法的な義務と、職業倫理的な責任があります。
目次
Toggle◯法的義務について
法第40条信用失墜行為の禁止「公認心理師は、公認心理師の信用を傷つけるような行為をしてはならない」→明確な基準はないが公務員法や地方公務員等では、職務中のみならず職務外での(例えば飲酒運転などの)行為も信用失墜行為の対象となる。
法第41条機密保持義務「公認心理師は、正当な理由がなく、その業務に関して知り得た人の秘密を漏らしてはならない」
法第42条第2項「公認心理師は、その業務を行うに当たって心理に関する支援を要するものに当該支援に係る主治の医師があるときは、その指示を受けなければならない」
法第43条 資質向上の義務について「公認心理師は、国民の心の健康を取り巻く環境の変化による業務の内容の変化に適応するため、第2条各号に掲げる行為に関する知識及び技能の向上に努めなければならない」
上記の法的義務に加えて。
法第44条 公認心理師の名称の使用制限というものもあります。
そして罰則規定についてですが、46条から50条までが罰則規定となっています。
(47条〜50条までは、資格試験の事務や名称、帳簿についての罰則)
例えば第41条の秘密保持に対しては第46条が罰則規定となっており、1年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処するとなっています。
また、法第32条では、40条(信用失墜行為の禁止)41条(秘密保持)42条(多職種多機関連携と医師の指示に従うこと)43条(資質向上の責務)の規定に違反した時には公認心理師の登録取り消しになると記載されています。
◯職業的な責任として
・倫理には、命令倫理と理想追求倫理の2側面がある。
◯法的「秘密保持」と職業倫理的「秘密保持」との違いについて。
・法的な意味での秘密とは、本人が隠しておきたいものだけではなく、隠すことに実質的な利益のある事柄が法的な対象となる「秘密」と定義されている。
・職業倫理的な「秘密保持」とは、専門家への信頼の上に打ち明けた事柄を、誰にも漏らさないことで、法的な意味での秘密との違いは、秘密の価値があるかないかというところは関係がない、価値があってもなくても専門家の倫理としては守らなければならないところ。
なので『法的な秘密保持よりも、職業倫理的な秘密保持のほうが厳しい』ともいえるかもしれません。
◯「相手を利己的に利用することの禁止の原則」ということについて
公認心理師はクライエントにとって最善の対応を行うべきであって、公認心理師側の利益のためにクライエントを誘導することは禁じられています。
これは利益誘導と言われますが、その前提として多重関係の問題についても考える必要があります。
多重関係とは、セラピストとクライエントの間に、カウンセリングの関係以外の関係がある場合を示します。
例えば上司と部下や、学生時代の同級生であったり。
セラピスト側が最初からクライエントに既知の枠組みや関係性をかぶせて、いわば偏見の上で見立ててしまうことや、おライエント側が他の関係性が崩れるのを心配して自由に自分の思いを話せなくなるという不利益などもあるでしょう。
こういった多重関係があることで、セラピストがクライエントの利益ではなく、セラピスト自身の利益のためにクライエントを誘導することが可能になるというところ、セラピストがクライエントの秘密を知ることで他の場面で強い立場に立ってしまう可能性があることが一番の問題なのかもしれません。
それが意識的であっても無意識的であったとしてもです。
治療構造に守られてこその相談活動
人と人との関係はとても難しくややこしいもので、ああなったらこう、こうなったらああ、なんてことは実は心理学をやってもほんとうの意味ではなかなか分からなくって、それでも職業的な型(構造や倫理規定)を作って、なんとかその心理的な実験室の中でという限定的な職業的関係性の中でのみ、必死で知識を積み上げ技術を磨いた後、ある程度は見立てが出来たり、次に何をするべきなのかが分かったり、本当に少しばかりクライエントの利益になることについて考えれるようになるものなのです。
セラピストの多くに共通する実感として、仕事ではある程度相手のことがわかるのに、自分事になると全く心理脳が働かず、見立ても狂いまくりで、あんた本当にカウンセラーなの?ちっとも人の気持ちがわからないじゃん!ということになるというのがあると思います。
仕事をしているときは治療構造を守りつつ「クライエントの利益の最大化」ということをとにかく一生懸命考えていれば、そうそうおかしなことにはなりません。
しかし、仕事を離れると自分を大切にすることと相手を大切にすることのバランスをとるのが難しくなってくることもあると思います。
つまり仕事では「カウンセリングの理論や方法を使って相手を大切にすること」が「職業人としての自分を大切にすること」に繋がるのでこのことで問題は起きにくいのですが、構造がない所、ここからここまでがないプライベートな関係性では、相手のために一生懸命になりすぎると、疲れてしまったり自分が損をしている気持ちになってしまったり、逆にもっと頑張らないと、という気持ちになってしまったりということが起こったりします。
もちろんこれは人だから当たり前のレベルの話ですが、大事なのはカウンセリング場面でなくても、人と人が関わればコチラの感情の動きや行動に合わせて、相手の感情や行動が相互作用的に動いて、影響を与え合うということが当然ながら起こります。
ここにもし、カウンセリング関係とそれ以外の関係が重なってしまったらどうなるか?
親切心があだになることも・・・無意識に行われる利益誘導の恐ろしさ
利益誘導なんて、本人はやっているつもりがなくても、どこかで自分を大切に出来ずに苦しくなった気持ちや消耗を、違った形で取り戻そうとして、無意識であっても自分にとって都合のいいファンタジーを思い描いたり、相手を傷つけるような言葉を吐き出してしまったり、面接の内外での行動化(アクティングアウト)を起こしてしまうのは当然の事のようにも思われます。
*例えば、相手の話が深刻すぎてどうしても着ることが出来ずに時間を少し延長したということであっても、面接構造を守らない、守れないということは、「仕事としての自分以外の自分」が面接の中で顔を出してしまう可能性を作っている、いわば仕事以外で会っているとということに、相手にとってもそうなってしまっている。面接をしながら自分のプライベートな自分を大切にしたい感情までも扱わなければならなくなってしまいます。相手にとってもそういう葛藤と混乱を生ませることになりますよね。それに気づかずに面接を続けていけばどんどん荒れていくことになる。
実際は、カウンセリングをする関係性ではないのに、ついつい相談に乗りすぎてしまったり、親身に考え過ぎたりして、いつのまにかカウンセラーのように振る舞ってしまったり、相手もそういった期待を持つようになっているのに、そこを意識せずにプライベートのつもりでいるのに日常生活の上にカウンセラー的な思考や行動が乗っかってしまうという、ある意味プライベートの上に仕事が乗っかっちゃったような多重関係の方が取り扱いが難しく、多くの人が悩んでいる問題なのかもしれません。
*神田橋條治先生はその著書「精神科療法面接のコツ」の中で、家族の話を仕事のように一生懸命聞いてみるといいと、そうするといかに自分が演技的にわざとらしく話を聞いているかがよく分かるというようにおっしゃっていました。それがトレーニングになると。その場合においては、例えば実家に帰った時にいつも話が長い家族の話を、普段なら聞き流したりツッコミを入れるところを、仕事のクオリティーで一時間は集中して聞いてみる、というくらいがいいのかもしれません。元々の関係が近くて強固で少しのチェンジで済む場合と、あとは関係がすごく薄い場合は影響が小さいのではないかと思います。
家族であっても同僚であっても、友人であっても恋人であっても親戚であっても
カウンセラーを志す人間というのは、相手が家族であっても同僚であっても、友人であっても恋人であっても親戚であっても、どこかに相手の役に立ちたい気持ちがあったり、そもそも人から相談を受けるのが当たり前な人であったり、誰かの気持ちを受け止めることのみに自分の存在価値を見出して依存していたり、そして相手にもそういう期待があるからついつい熱心に話を聞いてしまったり、役立つように一生懸命に成ることってあると思うんです。
こういったもともとの気遣いや良心以外の枠がない状態で、相手に対する強烈な役に立ちたい気持ちや嫌われたくない気持ち、社会的に有利不利がある立場だったり、恋愛感情や、上下関係、強い相互依存関係や疲労、悲しい体験、こだわりなんかが重なってくると、普通の仲間同士の相談のはずが、違った色合いを帯びてくる、強い葛藤が互いの中に起こり、それを消化できる構造や周囲の環境がない場合に、善意でスタートしたはずのものが、どんでもなくえらいことになってしまう、お互いが訳がわからずに、とんでもなく苦しい思いをすることになってしまうのではないかと思います。
もちろん偉い人は倫理意識の徹底を、とか人格の向上とか、ひょっとしたら「治療者の中立性を!」なんて声高だかに言うかもしれませんが、「意識の徹底」とかって、何も言っていないのと一緒だと思うんですよね。
そして「中立性を」といっても、公認心理師の「連携」という考え方からしても、かっちりした治療構造の中で、とにかく受容的に支持的に、転移逆転移を解釈しながら、という臨床心理的、無意識的、密室的な精神療法が成り立つ場は、ごくごく限られていて。
例えばスクールカウンセラーの現場にいても、カウンセリングの件数を減らすために一次予防としての心理教育やコンサルテーションをどんどんやっていく方向に向かっていますし、今後はいわば密室ではない開かれた場所での意識的、具体的、環境利用的な心理的支援活動が公認心理師のメインストリームになっていくことは間違いないことでしょう。
そんな中で、秘密の保持にしても、中立性の保ち方にしても、連携と秘密保持のバランスにしても、10年前、20年前に僕らが習ったことやアタリマエのことを踏まえた上での、倫理規定やクライエントを守るための発想の転換が必用なのではないかと思います。
セラピスト自身が当事者性を自覚し、それを扱っていく姿勢
秘密を守りながらアウトリーチして連携してくのって、本当に全周囲に対する見立ての力や法的、心理的、構造的な共通理解が必用だと思うし、とても難しくもあることでしょう。
またナラティブアプローチやオープンダイアローグやアンティシペーションダイアローグ、当事者研究といったクライエントを支援する対象とみなさないコラボレーティブな立場での連携が当たり前の開かれた心理臨床の視点の中に、大きなヒントが含まれているんじゃないのかなと思っています。
つまりそれは、
どこまでセラピスト自体が持っている葛藤や感情、難しさを自身が「当事者」としての「こまりごと」としてオープンに扱っていけるか、それが一緒に扱える開かれた関係を持てるように、自分の存在だけでなく相手の存在もオープンなものとして同等に認めていけるか?
ということにかかっているんじゃないのかなあと。
以下に続きます。
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