かけい臨床心理相談室

新しい学びのブレーキは、今までの自分の経験や学び?

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臨床心理士  カウンセラーっぽくないカウンセラーと言われることが多い チェブラーシカに似ていると言われることがある 似ていないと言われることもある 時間空間的なおっちょこちょいである
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経験や信念、自分なりのアイデンティティーが積み上げられると、心をまっさらにして学ぶのは難しくなるなと思います。

逆に言えば、何も知らない、経験がない、イメージがないという事は、新しく学ぶことについてはとてつもない強みなのではないかと思います。

何を聞いても(時には間違った的外れな情報であっても)「あ、そうなんだ~」と思えること自体が、強力な学びの武器なのではないでしょうか。

なまじ近接領域での経験や考えがあると、学んでいるようでも心の中で「これは違う」「これは必要」「これは不要」と、勝手にジャッジしたり、反発したりして、これまでの自分にフィットしないものを知らぬ間に学びから排除してしまうことがあるのではないかなと思います。

 

その取捨選択は、経験があるからこそできるものかもしれませんが、全体像が分かってもいないからこそ学ぶわけであって、そんなときに取捨選択すること自体が、その学びを価値のないものにしてしまうともいえるでしょう。

もちろん経験があることで、経験の無い人よりは「より分かる」ということはあるかと思いますが、「わかっている」と思った時点で新しい情報が入りにくくなりますし、そもそも勝手に自分流に寄せて解釈して分かったつもりになっているだけで、本当は何もわかってないなどという事もあるかと思います。

自分が専門としていたことの近接領域について学ぶときの学びのブレーキは、今までの自分の経験や学び、ということになります。

だからある程度の年齢や経験のある人が近接領域について学ぶときは、相当に自分を捨て去る努力をしなければ、経験のない人に比べて、学びの質は大いに下がってしまうかと思います。

(近接領域でない、例えば棒高跳びの選手が、絵画を学ぶときは、まっさらな気持ちで学べるかと思います)

でも世の中には、今までの自分の学びを丸ごと捨て去って、近接領域の新しい学びにチャレンジできる人がいます。

それまでに学びを得た自分ごと燃やし尽くして次に行くのです。

そんな一人の漢、精神科医佐藤克彦先生のインタビュー動画です。

 

全てを捨て去ったようで、実はその人の中にエッセンスだけは生きていて、新しい学びと融合していく。

いくら捨て去ろうとしても「あいにく武はオマエを離してくれぬ」というところでしょうか。

それが本当の成長につながる大人の学びなのではないかと思いました。

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