ちょっと待って!その主訴・・・いったい誰の主訴だよ!?【家庭訪問編】
スーパービジョンやらグループスーパービジョンなんかで、「主訴」つまりそのケースで困っていることについて取り上げるときに、そのことについて誰が困っているのか?ということ、言い方を変えれば誰のニーズなのか?ということを曖昧にしたままスタートしてしまうことがあります。
目次
Toggleその主訴誰の主訴?
学校で働いているスクールカウンセラーだったりすると、例えば「不登校」という事象があって、それをカウンセラーがいろいろな人の話を聞きながら介入せねばならない時に。
そこには「学校の先生の困っていること」「保護者の困っていること」「本人の困っていること」または「カウンセラーが困っていること」が、それぞれ別々に存在するというように考えなければなりません。
「◯◯さんが不登校になって、何度声を掛けても学校に来なくて困っているんです」と学校の先生に相談された場合に「それでは学校に来られるように家庭訪問をしてみましょう」とスクールカウンセラーが家庭訪問をしたとします。
これは一見普通の流れに見えますが、この当たり前に見える流れの中にも気をつけねばならないことがあります。
学校のニーズと本人や保護者のニーズを別々に考える
スクールカウンセラーとして、不登校の児童生徒に対してサポートや介入を行うために、担任と一緒に家庭訪問に行くことは(その自治体や学校組織の考え方にもよりますが)そこそこあることです。
この場合は「不登校」という事象に対して「学校に来させるための介入」であり、「学校に来させるために何か手を打ちたい」という担任のニーズに合わせた介入となっていますが、子供や保護者のニーズに合っているとは限りません。
もちろん職務として先生の困り感について、サポートしていくことは必要なことなのですが、その時に「保護者は何に困っているのか?」そして「本人は何に困っているのか?」ってことについて考え、それなりの配慮をした上での一歩を踏み出す必要があります。
個別の状況について考える
例えば本人は、ずーっと学校で苦しくて我慢してエネルギーが切れてしまい、やっとのことで「休みたい」という本当の気持を言えてホッとしたところかもしれません。
保護者は、本人の辛さが理解できるのに、他の家族からの「親がちゃんと学校に行かせないから」という重圧も受けていて、どうしていいのかわからなくなってしまっているのかもしれません。
こういった、ケースに関わる様々な立場の人々のそれぞれの困り感について考えず、「主訴は不登校」→「登校すれば解決」→「まずは家庭訪問」というようにまとめて考えてしまうことが、どれだけ乱暴なことなのか、よくよく個々の立場に立って、思案しつつ行動する必要があります。
それぞれの困り感、ニーズについての確認
家庭訪問に行く事自体を否定しているわけではありません。
ただ一言、行く前の電話の時にでも、最初に玄関であった時にでも
「今回のことでなにか大変な思いをされていませんか?」
「僕らが家庭訪問に行くことで、ひょっとしたらお母さんやお子さんがちょっと苦しい気持ちになっていないか心配なのですが」
と一言告げることができたら、今の気持ちについて尋ねることが出来たならば。
そして家庭訪問に行く道すがら、担任の先生とそういった気持の配慮の仕方について話し合うことが出来たならば。
保護者や本人、担任と、「不登校」という困りごとに対して協力関係を築き上げる一歩が踏み出せるかもしれません。
主訴と一言でいっても「誰の主訴を取り上げているのか?」「誰の主訴を取り上げていないのか?」と自分に問いかける癖がつくといいと思います。
共通の目標と解決像
困り感は人それぞれですが、「最低限どうなったらいいの?」というところについては、共通の目標、解決像を持てることが良くあります。
例えば不登校の事例だったら「今の時点で学校に行くのか行かないのか?」ということについては、家庭と学校で意見が分かれることがあります。
しかしながら「将来その子が社会的に人にかかわっていけるための経験と知識をえさせたい」とか「高校には通いたい」とか「どんなとこでもいいから大学に」とか「好きな仕事に就きたい」とかいった目標、解決像のイメージが、本人も含めて共有できると、そこへの道筋が具体的に考えられるよになっていきます。
さらに言えば、「不登校であったとしても、もう少し家の中で会話が増えるといいね」とか「とにかく少しでも気持ちが楽になるといい」といった、具体的かつ身近で共有しやすい目標も出てくるかもしれません。
(そういった目標が出てくると、ぐっと解決までの道のりが近くなります)
成長をキーワードに
ちなみスクールカウンセラーをやっていて、いじめの事案や暴力や窃盗など、被害者と加害者がいるような難しい事案の場合を含めても、「全ての関わる人の共有できる目標とは何か?」と考えねばならないときがあります。
そんな難しいときでも「成長(問題解決能力の成長)」というところで、いろんな立場の人達と目標を共有できることが多いように感じています。
例えば親子で面談に来た時。
例えば医療の場面で他の文化を持ったスタッフと協力しながらケースに関わる場合。
例えばいじめの被害を訴える保護者といじめをしたと言われて傷ついている子どもとの間で板挟みにあった時。
それぞれの持っている困り感を把握した上で
「じゃあどういった解決像を作り上げれば、どういった方針を立てれば皆が納得できるのか?」
というところについて考えるのが、コミュニティーに関わる臨床家の姿ではないのかなと思います。
家庭訪問についてはこちらもどうぞ。
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